二章・初志貫徹編
黒の上司、動く。
珍しく定時で仕事を終える事が出来、私はいつもの様に
職員用の喫煙スペースへ足を運んでおりました。
「おや、まだお仕事中なのでございましょうか…」
途中にある保全管理課の作業部屋に明かりがついております。
がまだ仕事中なのかと思い、ドアをそっと開ければ
既に帰り支度を整えた状態で、パソコンに向かっておりました。
「お疲れ様でございます、まだお帰りにならないのですか?」
そのまま通りすぎる気にもなれず、ドアを開けて入口で声をかければ
私に気がついたが笑いながら頷きました。
「お疲れ様です、黒ボスは今から一服ですか?
仕事自体は終わったんですけど、ちょっとやる事があったんで…
でも、もう少しで終わるんで帰りますよー。」
そのまま中に入ってデスクに近づけば
パソコンの画面を見ながら、なにやら書類を分類しておりました。
「これは…あぁ、ゲンナイの試験勉強用の書類でしたか。
おや、こちらの書類の文字はのものではございませんか?」
「えぇ、そうなんですよ。
実はに内緒で2級の願書を送っておいたんですよ。
この規模の企業で課長として働くなら、取得しておいた方が良いですし
どうせなら両方一緒に教えた方が、私も楽チンですからねー。」
成程、確かに双方にとってよろしい事でしょうね。
それにしても、これだけの量をすでに学ばれてらっしゃるとは
ゲンナイももきっと合格できるのではないでしょうか?
「も、大変だとは思いますが頑張ってくださいまし。
そう言えば、今日は夕食はどうするつもりだったのですか?
もしよろしければ、昨晩ビーフシチューを沢山作りましたので
ご一緒しませんか?」
「うわーい、相変わらずの家事力にビックリしちゃいますね。
今日はご飯を作るのがめんどいんでデリで買って食べるつもりでした。」
ランチは、先日の賭けの戦利品の食券を使って
しっかり食べておられる様でございますが、関心しませんね。
「それでは栄養が偏ってしまいますよ?
が食べても余る位沢山作りましたので、召し上がってくださいまし。」
「…それじゃ、お言葉に甘えてご馳走にならせていただきますね。
そうだ、私も昨夜ポテトサラダを作って冷蔵庫にいれてあるので
それを持ってお邪魔しますね。」
断られなかった事に妙な安堵感を覚えて、私は頷きました。
最近のは、仕事では私とクダリに一線を引くような
言動とでございましたので心配だったのです。
書類に付箋付けして、ファイルに収めたは
そのまま通勤用のバッグを持って席を立ちました。
「うし、大体の目処がついたので私も一服してから帰ります。
どうせ帰り道が同じですから、一緒に帰りませんか?」
「えぇ、それは構いせん…と、言うより歓迎いたしますよ?」
は作業部屋の施錠をして、私と並んで歩き出しました。
仕事以外では、以前と同じ様に接していただける事がまだ救いでしょうか。
私が少々おどけて言えば、柔らかな笑みがかえってきます。
取り留めのない会話をしながら、喫煙スペースに向かえば
すでに着替え終わったクダリが私を待っておりました。
「ノボリ、寄り道良くない!って、と一緒だったんだ。」
「白ボス、お疲れ様です。
ご一緒だったんですよ?んで、夕食に招待されたんですが良かったですか?
ご馳走になりっぱなしじゃ悪いんで、ポテトサラダ持っていきますよ?」
「うわ、一緒にご飯食べるとか久しぶりだよね?大歓迎する!
それじゃ、二人共早く一服しちゃって!んで、一緒に帰ろ?」
「慌てなくとも、今日は残業もしておりませんので時間はございますよ?」
クダリを喫煙スペースの外で待たせて、私とは一服をしてから
その後、一緒に家路につきました。
そして帰宅後、シャワーを浴びて夕食のセッティングをしている時に
が大きめの平皿を手に、いらっしゃいました。
「お邪魔しますー。うわーい、もう準備が終わっちゃってたんですね。
お手伝いしようと思ったのに、出来なくてすみません。
これ、さっき言ってたポテトサラダです。」
ラップに包まれた皿を見れば、ハムに巻かれたポテトサラダでございました。
クダリが美味しそうと叫んで喜んでおります。
この様なちょっとした一手間をかけられるのが、の凄い所ですね。
「ありがとうございます。では、こちらもテーブルに並べますね。
さぁ、冷めないうちに召し上がれ!でございます。」
全員で、テーブルに座ってそれぞれに食事を始めます。
そう言えば、一人で私達の部屋に訪れるのは二度目でしょうか?
「うわーい、このビーフシチューのコクとか凄すぎです!
やっぱりシチューはじっくりコトコト煮込んだほうが美味しいですね!」
「ボク、ポテトサラダは全部マッシュしてるのが好き。
だから、のサラダもすっごく好き!ハムとの相性も最高!」
「ハムの塩加減を考慮して、サラダ自体が薄味になってるのですね。
スライスしたオニオンが良いアクセントになっております。」
「そのオニオンスライスが苦手って言う人もいるから、心配でした。
お二人は違ったみたいで良かったです。
オニオンスライスは、水に20分から30分位さらして辛味を抜いてるんです。
ポイントは水気をしっかり切る事、それじゃないと水っぽくなるんですよ。」
下ごしらえの段階でも一手間かけてらっしゃるのですね。
確かに、普通のオニオンスライスより辛味が少なく美味しゅうございます。
「ごちそうさまでした!なんだかとこうやって話すのは久しぶり。
ゲンナイ達がいるから仕方がないんだけど、ホントは寂しかったんだよ?」
クダリが小首をかしげながら、を笑顔で見つめます。
そんな表情を見て、はうーんと考え込み出しました。
「そんな言葉をそんな表情で言うから、ギアステの天使とか言われるんですよ。
やだ、ちょっとときめいちゃったじゃないですか!
ホントならここで私も、私も寂しかったんですよ?キャッ、言っちゃった!
とか言って、顔を赤らめる所?でも無理だからやめときますよー。」
「おや、その言葉と表情は是非とも拝見したかったですね。
今からでも遅くありませんよ?さぁ、やってみてくださいまし。」
「ノボリ、それってじゃなくなるから。」
クダリの言葉に、失礼な!とが言って三人で笑い合います。
以前と同じような、の態度と言葉に少々安心しました。
食事が終わり、クダリが今日の当番なので食器を洗い始めます。
も手伝うと言ったのですが、クダリが一人でやるといったので
二人でバルコニーに出てタバコに火をつけます。
ふた筋の紫煙がゆっくりと広がる中で、私は先日から思っていた事を
思い切ってに話してみました。
「、正直におっしゃって欲しいのですが…
仕事中の貴女は以前と違い私達との間に、一線を引いておられるでしょう?
私達は何か、の気に障る様な事をしてしまったのでしょうか?」
「ノボリさん?」
私の質問は意外だったのでしょう、驚いた顔でこちらを見つめております。
「私達はの目からすれば、とても未熟に映るでしょう?
以前の貴女は私達を内側から導いてくださっておりましたが、
今では線を引いて、一部下として振舞ってらっしゃいます。
それが私には…お恥ずかしいのですが、突き放されてしまった
見放されてしまった様に感じているのでございます。」
「それはノボリさんの思い過ごし「ではございませんよね?」…うっ…」
気分を害されるかもしれませんが、通り一遍の言葉など聞きたくありません。
私は、の思っていることを知りたいのでございますから。
タバコを一息分吸い込んだ後に、私は言葉を続けます。
「部下だから、上司だからという枠付けは、ギアステにはございません。
私達はサブウェイマスター…最高責任者に就任した時に公言しております。
自分達は皆の意見をまとめる役目にしか過ぎないと
そして、私達は全員が大好きなギアステに集う家族なのだと言っております。
他の職場は存じませんが、ここではその様な線引きは不要でございます。
私が何を言いたいのか、敏い貴女の事ですからおわかりになるでしょう?」
正直申し上げれば、今回の夕食への誘いは一種の賭けでございました。
もし、仕事中と同じ態度をとり続けると言うのなら
私はそれ以上、何も出来なくて立ち止まる事になっていたでしょう。
ですが、プライベートの友人としてのは以前と同じ様に
私達に接してくださっているのです。
もも、この件についてはに何も言いません。
ですが、それが正しいとはどうしても思えないのです。
だから、私はあえて動く事にいたします。
…貴女の周りは居心地がとても良いのです。
それは貴女が私の傍に近づいてくださったからなのでございます。
これ以上近づかない、むしろ離れようとされるのでしたら
今度は私が貴女の傍に歩み寄らせていただきましょうとも。
穏やかな陽だまりの様なその場所を無くしたくはないのです。
むしろ、もっと傍に寄り添ったなら、それはどの様に変化するのでしょうね。